核兵器による抑止に思うこと。

 現在の、世界情勢の不安定さに、バラク・オバマ前大統領の存在が少なからず影響していることは、多くの方が納得しているのではないかと思う。

 

 このことを踏まえて、橋下徹さんの「核ヘッジング」や、三浦瑠麗さんの「北朝鮮保有容認」などについて思うこところを残しておきたい。

 

 まず、橋下徹さんの核ヘッジング」だが、軍事研究に反対を表明している「日本学術会議」との関わりを、どのように考えているのだろうか?

 

 そもそも、21世紀を迎える前から、日本は、核兵器転用可能なプルトニウム保有しており、数ヶ月で製造する技術はあると国際的(IAEAなど)に認知されている。あと必要なのは、製造と兵器化のための実験場程度である。

 

 「非核三原則」であるとか「自衛権の範囲」であるとかは、大いに議論になるだろうが、現憲法下で自衛隊保有しているのであるから、解釈次第でなんとでもなるのであろうと考える。

 

 現状では、現憲法下でも「策源地攻撃」が可能とのことであるので、「核シェアリング」の方が、可能性は高いではないかと思う。平時の管理はアメリカ、有事での使用は、アメリカの了解を得た上で、日本が行う。アメリカの拒否権については交渉が必要と考えるが、国内に向けても、世界に向けても、「日本が単独で暴走することはありません」とのメッセージを送れるのではないかと考える。

 

 最悪、アメリカが難色を示した場合は、「日米安全保障条約」を改定し、「相互確証破壊」を明記できるように譲歩するといったスタンスでの交渉とする。「核の傘」を強固にするイメージで良いと思う。

 

 ただ、私には核ヘッジング」も「核シェアリング」も、日本が獲得したとしても、「核抑止」の効果は薄いのではないかと考える。

 

 なぜなら、自国の軍隊(自衛隊)の犠牲とさえ向き合えない日本人に、核攻撃を行った相手国の非戦闘員を殺傷する「大量破壊兵器」を使用する「決断」は困難だと感じるからである。それは、他国の評価もかわらないのではないかと思う。

 

 「いまの日本人に、核兵器使用を決断するガッツはない」

 

 橋下徹さんのことだから、現状をきっかけに「国防」、「憲法」、「日米安保」などについて「注意喚起」し、可能であれば「議論」に繋げたいとの思いだと考えますが、まだまだ、日本人はそこまで成熟していないと感じます。

 

 伊藤祐靖さんが「国のために死ねるか」という本を書いておられますが、政治家も含め日本人に、自衛員に向かって「国のために死んでくれ」と言えるのだろうか?「日本を守るために死んでくれ」、「世界平和を守るために死んでくれ」と言えるのであろうか?

 

 核戦争は、当事者国だけの問題ではない。「第1次世界戦争」を引き起こすリスクは低くはないのではないだろうか?

 

 

 三浦瑠麗さんの「北朝鮮保有容認」だが、そう易々と「容認」できるものではないと考える。NPT体制を崩壊させ、「核保有ドミノ」を拡散させるきっかけになるだけだろう。

 

 韓国、ポーランドスウェーデン、イラン、サウジアラビア、アルゼンチン、ブラジル、台湾、トルコなどなど、「核保有ドミノ」に加担しそうな国は、多くあるのではないだろうか。

 

 それぞれの地域や関係の中で、「相互確証破壊」による「核抑止」が成立し、いびつながらも安定するのかもしれないが、「核抑止」自体が不安定なものであることは、旧ソ連スタニスラフ・ペトロフさんやヴァシーリイ・アルヒーポフさんの事件を考えれば、とても危うい状態であることは理解できるのではないかと考える。

 

 当時は、システムも未熟であったこともあるのだろうが、ヒューマン・エラーは無くせない。そもそも、世界規模の「サイバー攻撃」が行われている現在においては、ますます危うい状況であることは理解に苦しくはない。スタックスネットでの核開発妨害を忘れてはいけない。

 

 また、「核保有ドミノ」は、テロリスト集団の核保有や、不安定な国の核保有の可能性を高め、これらの集団や国には「核抑止」は作用しない。報復されて困るものがない。失うものがない集団や国には「核抑止」は無意味ない。

 

 では、現在の日本にできることはなんだろうか?可能性のある範囲で、私が考えうる範囲では。

 

 ジェームズ・マティス国防長官が、「日本は盾に、アメリカは矛なる」という言葉を信じ、「盾」を強化することが最優先であると考える。

 

 まずは、ほぼ点での防衛になるPAC-3ではなく、面での防衛が可能なTHAADの導入。そして、韓国を見習い「シェルター」の建設ではないだろうか。都市圏では、青山繁晴さんの「地下街(地下鉄)シェルター化」が現実的だと考える。

 

 地下街(地下鉄)のない地域は、もちろん、予算をつけた上での「防災・防衛訓練」の実施。近年の国の方針の多くには、「なんとか自力で」、「ボランタリーに」などが多いが、そこは憲法にしたがって国の責務として行うべきものだと考える。

 

 韓国と同様に「徴兵制度」などとは言わないが、「シェルター」の有無が、橋下徹さんが「日本は、騒ぎすぎ」と感じる「日本人の不安」の源泉ではないかと考える。

 

 以上、備忘録として。ウェブの残しておきます。